2017年2月19日日曜日

世界はそれほどまでに

こんにちは。
今日もよく晴れて、2月であることを忘れてしまいそうな美しい日ですね。

さて歯医者さんに行ってきたブログマスターです。
歯医者ってなんで、あんなに真っ白で清潔な感じが、ここがどこなのか不思議な感覚になるんでしょう。

きのうはテスト期間やすみ前、最後のCHで、グリーグの学指揮tuttiでした。

しむすはおやすみでも、
ブログはテスト期間中も更新しようとおもうので息抜きにでも読んでもらえればとおもいます。

グリーグでは、ぼくはホルンセカンドを吹いています。
しかし、きのうはたまたま自転車を修理に出すタイミングとかぶってしまったため到着が遅くなってしまい、
ぼくは前輪を付け替え、後輪のチューブを交換したばかりの白い自転車で西荻窪吉祥寺三鷹と爆走していました。

練習がおわり、団長のいえで、ピザをLサイズで6枚も注文しましたが、けっきょく食べ切れないというアホなこともしました。
飲み物もわざわざ買いに行ったのに、誰もお茶を買って来なかったのがおもしろかった。

そういえばつい最近、
2月といえば、ぼくがブログマスターに任命されて、初めて記事を書いてから1年経つんだなあ、とおもって、
1年前の記事を読みなおしていたりしました。
(気になる人は、2016年2月のログ「ブログマスターの本質とは何か」をどうぞ⇨)

今さら読むのも恥ずかしい感じのむりやりテンション爆上げみたいな文章なんですが、
最後の追記のほうでは、意外と良いこと言ってんじゃないかとおもいました。(我ながら?笑)

「本質規定は、本質形成である」っていうテーゼを言った神学者がいるんですけど。
ざっくり言うとぼくたちが作っていく現在の過程がそれの本質である、みたいなことですね。

ぼくたちがピザを食べた過程もぼくたちの血となり肉となり、
ひいては音楽となり、それぞれの人生になっていく。
お茶がその場になかったことすらぼくの記憶に残っていく。

これから奏でられてゆく音楽は、世界は、それほどまでに、ぼくたちひとりひとりの作ってきた、あるいは作るものである。

こんなふうに、それだけのことがいろんなものに関わって、この世界のピースになってしまうって、暴力的なまでのやさしさのような気がします。
ぼくたちがなにをおもうに関係なく、些事些事とばかりに季節が移ろってゆくのが事実であるということほどに。

あなたや、ひとりひとりが作る世界は、それだけで今日もこんなに美しく、やさしいです。

ではみなさん春休みのCHでまた会いましょう、みなさんにすてきな春休みが来ますように。

〈永月いつか〉

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