2016年4月14日木曜日

回顧録

熊本心配ですね
東京では全然気づきませんでした
暗いからまだ状況が分からないですね。被害が少ないといいけど…

今日は調布のホールで本指揮者の先生の合奏でした。
ちなみに私はこのタイミングで風邪をひきました…
体調管理自信あったんだけどなー、あーあー

体が弱っていると、いつも以上に曲の美しさが心に響くことを今日発見しました。
ブラームスの1楽章で演奏しながら感動してました 笑
心も弱ってるわー

今日は、コンミスのボビーさんにお願いしました!

さて、私は早く寝ます
本番までに元気になるぞー
皆さんも体調には気を付けてくださいね
〈みほる〉
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こんにちは。数えたら4回目の登場でした、コンミス生命もあと3日なボビーです。
春コン前とのことでみほるさんから原稿依頼を頂いたので、自分のバイオリン人生をそれとなく振り返ってみようと思います。

1.ばよりんとの出会い
私がバイオリンを始めたのは6歳のときでした。母から「習い事するならバレエとバイオリンどちらがいい?」と聞かれ、幼い私は「バイオリンがいい」と答えたそうです。残念なことにこの記念すべき日の記憶が私にはありません。恐らくつま先立ちが苦手だったので無意識にバレエを避けたのでしょう。(奇しくも私のCMSでのコンミスデビューはチャイコフスキーの名高いバレエ組曲「白鳥の湖」だったわけですが、バレエを始めていてもこの曲には出会っていたと思います)

2.弦楽合奏
私が中学に入学した年は月9の影響か空前ののだめブームでした。周りで楽器を始めたい子が多く、ある種流されるかのように弦楽合奏部の体験に行きました。そこで私が目にしたのは、教室一面を埋め尽くす弦楽器でした!今まで個室で一人で弾くバイオリンの音しか知らなかった私には、上は高音から下は低音まであらゆる音が鳴り響く空間が圧巻で、その迫力に押されるかのように弦楽合奏部に入部したのでした。
弦楽合奏は吹奏楽やオーケストラに比べて馴染みのない方が多いと思うのですが、 管打のいない分弦楽器の持ち味である包み込まれるような厚みのある音が共鳴するのは1度味わったら癖になります笑 そんなわけで5年ほど弦楽合奏を楽しみました。
一人でやっているときはつまらなかったバイオリンも、ほかの人と合わせる楽しみを覚えてからは練習するのが楽しくなりました。もし中学で弦楽部に入らなかったらバイオリンの魅力に気づかないまま終わっていたと思うので、当時の自分グッジョブ!と思います。

3.塩キャベツ事件とブラ1
晴れて大学に入った私は、「さすがに楽器はまあいっか。フェンシングか合気道やろ~」とまだ見ぬ希望に溢れておりました。
そんなある日、某体育会系サークルの新歓で焼き鳥に行った私は、もともと人見知りだったこともあり殆ど喋ることが出来ず黙々と塩キャベツを食べ続けるに至りました。上京の寂しさと自分への不甲斐なさからその日は夜風が妙に心に冷たく当たったのを覚えています。
奇しくも、その次の日がまさにCMSの春コンだったのです!当時のメインはブラームスの交響曲第一番で、会場は杉並公会堂でした。歓喜に溢れた4楽章を万感の想いを込めて弾く当時の先輩方を見たとき、そして音の洪水を一身に受けたときに、私は「ああ、私には楽器があった…!また誰かと一緒に音楽を作りたい!」と思い、即座にCMSへの入団を決めたのでした。

4.コンミス人生
弦楽合奏上がりの私にとって、まともなオーケストラをやるのはCMSが初めてでした。さらにパートトップとも中高で無縁だった私が、気づいたらCMSではコンミスになっていました。
前述の通り塩キャベツを食べるしか選択肢のないほど人前で話すのが苦手で、リーダーシップも取ってこなかったので、練習の仕切りには四苦八苦しました。おまけにトップデビューの去年の春コンとこの間の秋コンでは大きなソロを頂き、平凡に生きてきた私にしては激動の人生でした。それでも、どうにかやりたいことや決め所を自分なりに模索できたかな、と思います。

私がここまでやってこられたのも、私の可能性を信じて支えてくれた周りのみんなのおかげです。自分が思い描いていたコンサートマスターからは大きくかけ離れた人間をしていると思う私ですが、自分がコンミスを出来たのもCMSだったからこそだと思います。いよいよ引退を明後日に控えた今はただただ団員への感謝があるばかりです。
引退コンは3年前と同じ杉並公会堂で、メインも同じブラームスの書いた交響曲第2番です。この嬉しい偶然を抱きしめて、明後日がいい日になることを願ってやみません。

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